群馬県支部 東毛地区交流会)
12月20日
「平成24年度 日本ALS協会群馬県支部 東毛地区交流会」が
次のような要領で盛大に開催されました。

開催に当たっては、
支部事務局を初め東部保健福祉事務所の島田係長や諸岡主任には
多大なご支援を頂き心より感謝申し上げます。

1. と き 2012年12月15日(土) 午後2時〜4時
2. ところ 太田市藪塚本町保健センター(1F 保健室)
群馬県太田市大原町482-1 Tel 0277-20-4400
3. テーマ 平成24年度 群馬県支部 東毛地区交流会
○お話し 「病気と私の創作活動」 
      歌人 渡辺松男氏(57歳) 「ちょう空賞」受賞
      (俳句・短歌を詳細に解説してくださいました)
出席者
(29名)
支部事務局3名、保健福祉事務所6名、
ALS患者6名、家族9名、群馬大学3名、ヘルパー2名。

 東毛地区交流会は、患者や家族が閉じこもりや社会からの孤立を避けるために新しい
「出会い」の場を提供し、病気・介護の不安を解消するための相談や地域に根差した
医療・福祉・介護などの情報を得る事が出来る絶好の機会であると考えています。

 残酷な進行性神経難病の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」は、難病中の難病であり、
医療・福祉・介護や患者・家族会などのあらゆる「社会資源」を活用して支え合わなければなりません。

幸いにも、ALSは長期在宅療養生活を可能にした「在宅介護支援ネットワークシステム」
の心強い支援態勢や有り難い「社会保障制度」の恩恵を享受して重度身体障害者になっても
「希望」を持って精一杯生きることができます。

交流会を通して新しい「出会い」を力に!「触れ合い」を励みに!して
「喜怒哀楽」を共有出来る仲間を一人でも多く作られ、
一人で悩んだり、「閉じこもり」や社会からの「孤立」を避けることを願っています。
そして、患者・家族会が「支え合う」なくてはならぬ存在でありたいと考えています。

●感想
 ヘルパーさんの外出介助「障害者自立支援法(移動支援)」を利用して、
東毛地区交流会に出席する事が出来ました。

お蔭さまで、新しい「出会い」があり、闘病仲間に会ったり、講演を聞いたりして、
元気と生きる力を貰う事が出来た、とても有意義な群馬県支部東毛地区交流会でした。

●交流会の写真




<今月の主なNEWS>
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2012年12月02日 中央道笹子トンネル天井板崩落事故(9人死亡)
2012年12月08日 ソチGF、高橋大輔・浅田真央金メダル獲得
2012年12月11日 山中伸弥教授ノーベル医学・生理学賞受賞式
2012年12月12日 清水寺発 - 今年の世相を表わす漢字は「金」
北朝鮮が長距離弾道ミサイル(銀河3)強行発射
尼崎連続変死事件の角田美代子容疑者が自殺
2012年12月14日 米コネティカット州で拳銃乱射事件(26人死亡)
2012年12月16日 12年 第46回 衆議員選挙(自民党政権奪還)
2012年12月19日 韓国大統領選挙 与党セヌリ党 パク・クネ氏
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意思伝達装置:話想(はなそう)
11月20日
■話想(はなそう)の商品紹介

 自分の身体の残存機能に合った入力スイッチをタイミングを取りながら「押す/離す」を繰り返し、
文字盤の文字を選びながら文章を作成し合成音声機能で出力(全文読み上げ)する事が出来ます。

商品名 意思伝達装置:話想(はなそう)
販売開始日: 2012年9月25日〜
対象: 音声言語障害と上肢障害及び下肢障害を持つ人

機器構成(価格:450,000円)
 ○タブレット型パソコン(携帯用会話装置)
 ○ワンクリマウス(別売品としてワイヤレスも有)
 ○ディスプレイ(23インチ)
 ○カメラ  ○リモコンアダプター  ○プリンター 
 ○ユニバーサルアーム(別売品) ○入力スイッチ(別売品)

「話想(はなそう)」の初期画面

 ※リモコンアダプターを接続すると、室温(℃)が表示されます。
  また、環境制御(テレビ、照明、エアコン)が可能です。

イ、呼出メール ロ、インターネット ハ、メール送信
ニ、メール簡易送信 ホ、メール受信 ヘ、windows操作
ト、ネット検索 チ、カメラ起動 リ、直前文章
ヌ、ワードパッド

@発音 Aトイレ B吸引 B吸引 D印刷 E確定
F単語 Gひら/カナ H挨拶 I体調 Jテレビ電源 Kテレビch
Lテレビ音声 M照明 Nエアコン OA/a Pスペース

挨拶
(※五十音や挨拶は、簡単な設定で全ての語句を入れ替えが可能)
はい ありがとう こんにちは 楽しい おはよう
いいえ お願いします さようなら うれしい おやすみ
どちらでもいい けっこうです はじめまして さびしい よろしく
どちらでもいい ごめんなさい 暑い 悲しい 眠たい
もうー ちょっと待って 寒い くやしい 起きてます
間違えました 好き 元気で ようこそ まあまあ
わかりました きらい つかれた また来てね でかける
わかりません 知ってる ええと あははっ
どう致しまして 知らない あなた さぁ? うんうん
ちがいます よかった みんな -

体調
(※五十音や体調は、簡単な設定で全ての語句を入れ替えが可能)
はい ひじ
いいえ まゆ ひざ
どちらでもいい ほほ ほほ ほほ
どちらでもない
もうー はな
間違えました 大変
苦しい ふつう
いたい 少し
かゆい 付ける つづける 〜は
のどがかわく 反対 取る 止める - でかける

呼び出し機能
○介護者が屋内:「緊急」機能は、
 ピンポーン♪〜と音が大きくて介護者に確実に伝える事が出来ます。
○介護者が屋外:「呼出メール」機能は、
 介護者の携帯電話に一発で繋がるので呼び出すのに便利です。

カーソルの移動機能
○文末 ○文頭 ○字戻(5文字戻る) ○字進(5文字進む) ○改行

文章の削除機能
○全消:作成中の全ての文章が一瞬で削除されます。
  「直前文章」で「全消」の文章を呼び出すことも出来ます。
○字消(1文字削除)


■モニターとしての感想
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「意思伝達装置:話想(はなそう)」は、
音声言語障害と四肢障害の両方を持つ人々のために一生懸命開発したと聞いております。
この商品の開発に携わった人々に心より敬意を表わし、感謝申し上げます。

  レッツ・チャット < 話想(はなそう) < 伝の心

●現在「レッツ・チャット」を使っている方に朗報です!
 レッツ・チャットの新生版で嬉しい機能アップして誕生したのが「話想(はなそう)」です。

 ◎追加機能:メール、インターネット、windows操作、カメラ、環境制御(テレビ、照明、エアコン)

●現在「伝の心」を宝の持ち腐れになっている方に朗報です!
伝の心の操作は難しいと思われている人のために操作を簡単にして誕生したのが
「話想(はなそう)」です。
早速、「カメラ起動」を選んでください。
文字盤が消えてライブ映像がディスプレイに映し出され楽しむ事が出来ます。
同時に「ワンクリマウス」が表示されます。
ワンクリマウスの黒色を選ぶと初期画面に戻ります。簡単でしょう!

 「意思伝達装置:話想(はなそう)」は、
パソコンを使用出来る環境に恵まれなかった人でも大画面で簡単に操作が出来、
しかも、外出時、携帯性も良い優れた「携帯用会話装置」もセットで付属されているので
広範囲で会話や環境制御が楽しめて誰にも愛される「コミュニケーションツール」です。
また、声を失った恐怖・苦悩と孤独との闘いから逃れ、
「コミュニケーション」が出来る素晴らしさを実感し希望が持てる商品です。


○「意思伝達装置:話想(はなそう)」は、下記にご相談ください。
 ────────────────────────────
  群馬県立義肢製作所  電話:027-255-6853   小林様
 ────────────────────────────

※東京新聞(2012年10月5日)の朝刊と夕刊に「意思伝達装置:話想(はなそう)」
の記事が掲載されました。
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妻の介護休暇
10月25日
 私は残酷な進行性神経難病の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を55歳(1999年秋ごろ)で発症し、
56歳(2001年4月)で告知されました。

それ以来、妻は私の動かない身体を支え続けてくれました。

もう12年目になりましたがこれからも、果てしない「介護」が続きます。

妻は常日頃、炊事・洗濯・お掃除や家庭菜園その上に昼夜を問わない
「介護」など家庭を守るために一生懸命頑張っています。
私は妻の献身的な介護のお蔭で幸せな「在宅療養生活」を送っています。

本当に感謝です。

このような「介護生活」でも妻が毎年楽しみにしている「旅行」があります。

 @5月〜8月頃:妻の姉妹夫婦の旅行
 A5月〜10月頃:中学時代の同級会の旅行

この「旅行」を可能にしているのは有り難いMK病院の存在です。
その度ごとにMK病院に「レスパイト」でお世話になっています。

地域医療連携室のA室長は患者の要望に耳を傾ける人で、
どんなに遠い地域でも看護師さんの付き添いを伴なって送迎をしてくれる誠実な人です。

また、難病病棟の看護師さんも選ばれた優秀なプロ集団で
構成されていますので手厚い看護が期待出来ます。

例えば、全介助のALS患者にとって「ナースコール」の
重要性は看護師さんの誰もが理解しています。

処置が終わり看護師さんが病室を離れるときにナースコールの動作を必ず確認してくれますので
「必要な時に、必要なケア」が出来ますのでとても「安心」です。

(ナースコールはピンタッチスイッチで操作が可能です。)
また、「リハビリテーション」がありリハビリテーションセンターでは大勢の人が
病気と向き合い身体機能回復訓練に励んでいる姿に感動します。
(辛いのは自分だけではない!!)

また、ベテランの看護師さんが「お風呂」にも入れて垢を全て洗い流してくれるので快適ですよ。
更に、驚かされるのはお世話になる度毎に目に見える「改善」がなされている事です。
患者の安全・安心を24時間確保するために様々な取り組みがなされているのを知る事が出来ます。


このような次第で妻は「安心」して旅行に出かけられます。
また、私も日頃の介護の恩返しの「介護休暇」を快く与えます。
そして、「楽しんでください!」と快く送り出します。

旅行のときだけではなくて介護者が「体調を崩した」「不意の出来事」が起こったなどの場合も
「介護休暇」が必要です。

閉じこもりや社会からの孤立を避けるためにレスパイトサービスを利用して
妻が親戚や友達との「お付き合い」も大切ですし、
果てしない「介護」を継続するためには、何よりも「気分転換」や「休養」が必要です。
「休養」は労働や介護の再生産につながると考えているからです。

旅行から帰って来ると「また、介護を頑張ろう。」と思っているらしく、
更に、優しく振る舞ってくれます。


妻は、新潟県方面に2泊3日の予定でした。
 ○2012年9月20日(木曜日)  東京で計画の打ち合わせ
 ○10月20/21/22日(土/日/月) 新潟県へ旅行

 ●2012年10月15日義父死去(享年88歳)のため旅行は急遽不参加
  4月に訪問したときには元気だったのに本当に残念です。

私は「ショートスティ」でした。
 ◎レスパイト:2012年10月16日(火曜日)〜25日(木曜日)10日間
  (今後の入院中の有意義な暮らし方が検討課題です)


現役時代には二人三脚で頑張って来たので、
せめて、ご褒美の老後の人生を妻は勿論の事私も「難病に負けてたまるか!」という気持ちで
おまけの人生を楽しみたいと考えています。
それなのでもうひとつの「旅行」を付け加えたいと考えています。
バリアフリーの宿を捜して、家族の絆を深める「家族旅行」は楽しい思い出になるものです。

 B良い季節に:年に一度は「家族旅行」を楽しむ!


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 【ワンポイント】 人工呼吸器のアラームが鳴ったときには…

 「命」に関わる「非常事態」が発生中です!!!
 迅速且つ的確な状況判断(原因の究明と適切な処置)が看護師さんに要求されています。
 (アラーム音は消さないでください)

 イ、回路の接続部の外れ、または接続部からの空気漏れ?
  事故発生からアラーム音が鳴り出すまで既に10秒が経過しています。
  残り20秒以内で原因の究明と適切な処置を看護師さんがしなければなりません。
  (適切な処置をするとアラーム音は自動的に消えます)

 ロ、AC電源ケーブルの差し忘れによる内蔵バッテリー切れ予告?
  AC電源ケーブルは、人工呼吸器から着脱が可能です。
  人工呼吸器にAC電源ケーブルが接続してあるか、
  AC電源ケーブルのプラグがコンセントに差し込んであるか両方を確認しなければなりません。
  (適切な処置をするとアラーム音は自動的に消えます)


 <ご注意>
 気管の吸引をお願いする際、ベテランの看護師さんと若手の看護師さんの違いに気付きました。

 ベテランの看護師さんは回路のカテーテルマウント(蛇腹)を取り外すときに水滴が
 必ず発生するので、パジャマや掛け物を濡らさないように回路の置き場所を意識しているのです。

 「カテーテルマウント」の水滴を振り払うとかティシュペーパーを敷くなどの
 心遣いは嬉しいものです。
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<信澤咲子看護師さんの作品>

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在宅での未明のアクシデント
9月20日
ロンドンオリンピック2012の閉会式が行なわれる
「8月13日」の未明に不意の出来事が起こったのです。

午前2時ごろ、バスタオルを一枚掛けて寝たのに暑くて眼が覚めました。
我慢出来なくて「呼び出しブザー」を鳴らして妻に助けを求めました。

吸引と水枕に氷を入れてもらい、
背中が燃えるような暑さだったのでいつもはしない「寝返り」をお願いしました。
妻は処置を終えてから再び就寝に着きました。

私は一度眼が覚めると再び寝付く事ができなくて朝まで起きている事が多いのです。
そのために、約2時間程度朝寝する習慣が身に付いてしまいました。

午前3時ごろ、タンが絡み出しました。
その上に、欠伸で唾液を吸引している排唾管が口から外れてしまったのです。

一晩で2回も妻を起こす事に抵抗がありました。
自分なりに介護者を労わる気持ちがあったからです。

介護疲れを解消するために就寝時間は妻だけの時間
夜9時に赤ワイン50tとさ湯300tの水分を補給します
就寝前に、吸引・排尿を済ませ、体位・掛け物などをセット
エアコンは寝冷えを防ぐために消します
夏でもパジャマは意識して長袖を着ています
夜中の体位交換は、出来るだけ我慢する
たえず時間を気にし、出来るだけ妻の起床時間まで我慢する

タンや溢れ出す唾液に耐え切れず思わず「呼び出しブザー」を鳴らして
妻に助けを求めようとしましたが「呼び出しブザー」が鳴らないのです。

ALS患者は自分では何一つ出来ず、昼夜を問わず何事も人の手助けが必要(全介助)となります。
ですから、常に「呼び出しブザー」の作動確認を怠ってはなりません。

先ほどの「寝返り」のときに「ピンタッチスッチ」の
作動確認を忘れた事に気が付きましたが後の祭りです。
「ピンタッチスイッチ」の作動は微妙です。
額にテープで貼り付けたリード線の先端とL字金具との
間隔・テープの粘着力低下・枕の位置やリード線を余裕を持って固定しないと
寝返りしたときに引っ張られて「呼び出しブザー」が鳴らなくなります。

また、「嚥下障害」対策として、
唾液を「低圧持続吸引器」で吸い取る方法を採用しています。

顔の向きや排唾管の挿入角度や深さによって吸引の良し悪しが決まったり、
口から外れ易くなったりするなど両立を狙うにはこれもまた微妙です。
唾液の吸引が上手く出来ないと、匂いのある「よだれ」として口から出てきます。
それが首から背中を伝わり、
パジャマやシーツを濡らしたり痒みを伴いとても不快(ストレス)になります。

妻の起床時間(携帯電話の目覚ましの設定:午前5時半)までの2時間半の闘いが始まりました。

このような、緊急事態時には体力の消耗を防ぐためにも焦りは禁物で、
冷静に対処しなければなりません。
日頃「タンの吸引はどこまで我慢出来るのか?」を訓練してたので2時間半位は不安から逃れ、
我慢出来ると思いました。

また、よだれの気持ち悪さや痒さを我慢すれば死ぬ事はない。
更に、就寝時間は妻だけの時間で介護疲れを解消出来たと思う。

このように、自分自身を落ち着かせ、
冷静さを保ちながら妻の起床時間(通常は午前5時、こんな日に限って!?)までの
永い2時間半の闘いが終わりました。

しかし、妻には大変な後始末に追われました。
吸引をお願いした後、
タンはカニューレを通過してカテーテルマウント(蛇腹)まで達していたので
「人工鼻」と「カテーテルマウント」を取り替えました。

次に、唾液の処理ですが、
カニューレベルト・パジャマ・枕カバーや背中に敷いてあるバスタオルまでに達していました。
朝の忙しい時間に妻は汗だくになりながら
それらの身体を拭いたり着替えや洗濯をしてくれるなどの後始末に追われました。
本当にご迷惑をおかけ致しました。「ご免なさい!」

 「必要な時に、必要なケア」を可能にする態勢や環境を維持しないと
ALS患者にとって安全・安心の確保が損なわれるばかりでなく恐怖・危険や事故が伴ないます。
また、余計な介護の手間が増えてしまいます。

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<ロンドンオリンピック 2012>

 ロンドンオリンピック 2012(7月27日〜8月12日)において、
日本選手団は史上最多のメダル38個を獲得する輝かしい記録を残しました。
(金:7個・銀:14個・銅:17個)

スポーツをテレビ観戦する楽しみは勿論ですが、
4年間、世界一を目指して努力した人だけが手にすることが出来る名誉あるメダルです。

努力が報われたご褒美の価値あるメダルを獲得した選手の満面の笑顔が
とても素晴らしくて見ている日本中の人々に「感動」を与えて下さいました。

選手の皆さんお疲れ様でした。

生きる事は「夢」を持つ事です。夢を実現するために「目標」を掲げて日々挑戦し続ける事です。
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ナースコール
8月20日
 「人工呼吸器」を装着し生きる道を選んだ萎縮性側索硬化症(ALS)患者が
希望を持って生きるには「喋れない、動けない、食べれない、呼吸が出来ない」などの
重い障害を背負った重度身体障害者の気持ち(心理)を理解し、
「心の傷を癒やすケア」と「長期療養生活環境の整備・向上」が必要です。

ALS患者は「植物人間」ではありません。
しかし、自分では何一つ出来ず、昼夜を問わず何事も人の手助けが必要(全介助)となります。
ですから、常に「不安」を抱えています。

「人工呼吸器」を装着したALS患者は常時次のような不自由な身体を背負っております。
 1、常に猿口輪をしている状態(喋れない、食べれない)
 2、常に両手を縛られた状態(ナースコールが押せない)
 3、常に両脚を縛られた状態(歩けない)
 4、人工呼吸器に繋がれ改造人間(自発呼吸が出来ない)


現状は、どこの病院でも「ナースコール」で呼ばない限り
「必要なケア」をして頂けないシステムになっております。

ナースコールを押す事ができないALS患者にとって
安全・安心の確保が損なわれるばかりでなく恐怖・危険や事故が伴ないます。
「ナースコール」はALS患者が自らの意思で「必要な時に、必要なケア」が出来るように
助けを求めることが可能なシステムになっていなければなりません。
ですから、ALS患者の「入院療養生活」に欠かすことの出来ない必需品であり、
「声代わり」なのです。

    「必要な時に」  ⇒  「ナースコール」
    「必要なケア」  ⇒  「文字盤」

ところが、「ナースコール」の設備は病院によってさまざまです。
「ナースコール」の設備がALS患者の「入院療養生活」が可能か否かを決める
重要な選択肢のひとつであると言っても過言ではありません。

病院の設備が悪いと嘆く前に、
そのような病院を選んだ患者や家族側に責任があることを肝に銘じなければなりません。

 「音声言語障害」と「四肢体幹障害」の両方を持つ残酷な進行性神経難病の
ALS患者が穏やかな気持ちで入院療養生活を送る事が出来るためには、
ケアする人との「コミュニケーション」が取れて「必要な時に、必要なケア」を
受けている環境の整備が必要です。


■ナースコールの実例(MK病院の場合)

私の現在の症状は「音声言語障害」・「四肢体幹障害」や「首が動かない」などの症状があり、
指で「ナースコール」を押すことが出来ません。
唯一の意思どおりに動く身体の残存機能は「マバタキ合図」と「額のシワ」です。
嬉しいことにこの「額のシワ」で「ナースコール」の操作が出来る病院が実は存在するのです。



@、押しボタンスイッチ用のコードを取り外してから、
接点(電極)スイッチ用のコードを取り付けます

A、入力スイッチをテープで「額のシワ」に貼り付けます
  ○テープは脂汗で誤作動しないように毎日張り替えます

B、入力スイッチのプラグを接点(電極)スイッチ用のコードのジャックに差込みます


C、「必要な時に」入力スイッチを「額のシワ」で押します
  病室の頭上にある赤ランプが点灯して発信を確認出来ます
  (赤ランプが見えるように壁の反対側に鏡があったらなぁ?)
  ○ピンタッチスイッチ:(作動音がする)
  ○接点(電極)スイッチ:(作動音がしない)

D、ナースセンターや看護師さんの「携帯電話」に確実に受信され「呼び出しブザー」が鳴ります
E、看護師さんから「少々お待ちください」などの応答があります

F、文字盤を利用して「必要なケア」をお願いします
  (文字盤は、最も手軽なコミュニケーションツールで、その利用は必須条件です)
  「他にありませんか?」と繰り返し聞いてくれるので、本当に助かります

 <まばたき合図>
 (1回:はい 2回:いいえ 3回:文字盤で会話をする)

G、処置が終わり看護師さんが病室を離れるときにナースコールの動作を必ず確認してくれます
  このような優しい心遣いには「信頼と安心」が生まれます

 このように、患者の安全・安心を守るために「ナースコールシステム」を
開発してくれた人々・その設備を採用した病院・その病院で働く看護師さんの
昼夜を問わない手厚い看護のお蔭で、私達難病患者や家族が希望を持って難病と向き合い、
共に生きられる事を心から感謝しております。

<<ご注意>>
  ★欠伸やくしゃみでナースコールが作動することがあります
  看護師さん「ご免なさい!」

  ★全ての協力病院が上記のような「ナースコール」の設備を採用される事を願っています


■在宅療養生活の場合

「在宅療養生活」にも「入院療養生活」と同様に「ナースコール」に替わる
「呼び出しブザー」が必要です。
「必要な時に、必要なケア」が出来る「呼び出しブザー」と「文字盤」は
日常生活に欠かすことの出来ない必需品であり、必要不可欠です。

○「呼び出しブザー」は下記にご相談ください。
 呼び出しブザーを鳴らすための「入力スイッチ」は様々な種類があります。
身体の残存機能に応じた最適な「入力スイッチ」を選んで頂くことが出来ます。
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  群馬県立義肢製作所  電話:027-255-6853   小林様
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入院患者の一時帰宅について
7月20日
 2006年8月2日 館林保健福祉事務所の保健師さんと一緒に
筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者(母)と家族(息子)が我が家を訪問されました。
ALS患者が安全で安心な「在宅療養生活」が送れるようにするための情報交換です。

このとき、私は病気の先輩として、
また、ピア・サポーター(仲間の支援者)として最大限の支援をしようと思いました。

 ○患者の症状:両手麻痺、歩ける、喋れる、食べれる
 ○家族構成 :高齢夫婦と親孝行な息子さんの3人家族

 残酷な進行性神経難病のALSは何時か呼吸障害が進行し「生」か「死」の
選択を決断しなければならない病気です。
「大切な家族と一時でも永く一緒に暮らしたい!」・「助かる命ならば助けたい!」
そんな思いから翌年の2007年10月「人工呼吸器」を装着し生きる道を選んだのでした。

 ALSは家族だけでは看れない病気です。
それでも、長期在宅療養生活を可能にした
「在宅介護支援ネットワークシステム」の心強い支援態勢があるからです。
しかし、地方の現状では24時間の支援態勢は難しく、
仮に可能になったとしても莫大な費用がかかります。
そのため、家族の介護力が問われる病気(知識・信頼・絆)でもあるのです。

いざ、「在宅療養生活」に移行して見たものの「老々介護」に不安があり、
急遽「入院療養生活」に切り替えざるを得ませんでした。
3個所の病院にお世話になり、親孝行な息子さんは病院に寝泊りし会社勤めをしながら、
母の献身的な介護をしたと聞いております。
 一時帰宅を果たせぬまま2011年7月?日(享年?歳)約4年弱の
入院療養生活で母を看取り無言の帰宅となってしまったのです。
闘病仲間がこの世を去って逝く訃報を聞く度になんとも寂しい限りです。

 葬儀4ヶ月後の休日のある日、
心の整理がついた親孝行な息子さんが我が家を訪ねてくれました。
そして、母の「介護生活」を振り返り、「一番心残りなのは、
母の希望であった一時帰宅を果たせなかったことです。」とおっしゃいました。
妻は「最愛のお母さんだから、献身的な介護をしても尽くし足りないと後悔が残るのよ。
親孝行な息子さんの介護にお母さんは感謝していると思いますよ。」と言っておりました。
このとき、私は病院に対して遠慮や家族の介護力に自信がなかったかも知れないと推察しました。
また、仲間の支援者として何もしてやれなかった恥ずかしい自分に気がつきました。


 2011年3月11日の東日本大震災で、
今尚、不自由な「避難生活」(約33万人)を余儀なくされている
多くの人々の悔しい思いはいかばかりかと察しております。
それでも、復旧・復興に向かって歩み出している姿にとても勇気付けられます。
私達に「難病に負けてたまるか!」という勇気を与えてくれます。

 ○帰る故郷・帰る我が家・帰る居場所のある幸せ!
 ○待っている家族・恋人がいる幸せ!

このような当たり前の生活の「幸せ」を巨大地震・巨大津波や
福島第一原子力発電所の事故(人災)などの未曽有の複合型大災害が
一瞬で奪ってしまったのです。

 被災された人々へ謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。
復旧・復興には永い時間が必要です。
2,000万トンのガレキの処理・除染や高台へ移転など課題は山積しております。
どうか、お体にお気をつけて希望を持って努力するならば、何時かは必ず笑顔取り戻せる
日がやって来ると信じています。一日も早い復興を心より願っています。

「入院療養生活」も「避難生活」と境遇は同じで、
気持ちを分かり合える共通点が数多くあります。
 ○出来れば病気を治して、元の元気な暮らしを取り戻したい!
 (喋りたい! 食べたい! 歩きたい! 自発呼吸が欲しい!)
 ○思い出の詰まった我が家へ帰り、家族の下で暮らしたい!
 ○やり残したことを家族に伝えたい!……
それは悲痛な叫びであり、本音であり、悲願なのです。

患者や家族の願いは‥‥‥
 1、ALS患者が安心して療養出来る医療、福祉制度の確立
 2、ALSの原因究明と治療法の開発
治らない病気ならばせめて、
失われた身体機能を補う支援ぐらいはあっても良いのではないかと思ってしまいます。
例えば、年2回(盆と正月近辺)一時帰宅出が出来る支援体制を創設して頂き、
より多くの病院や施設が「希望と生き甲斐」が持てる環境づくりの向上を
目指して頂きたいと切望致します。


■<一時帰宅のための外出(外泊)大作戦>
 (こんな事を出来る時代がキットやって来ると信じております!?)

1、打ち合わせ会議開催
 主治医、担当看護師、ケアマネージャー、患者、家族が集まり
 ALS患者を一時帰宅の外出(外泊)をさせるための打ち合わせ会議を開催します
 (外出の経験は防災訓練にも役立ちます)

2、家族の介護力に応じて一時帰宅の外出(or外泊)を決めます
 必要に応じて看護師やヘルパーさんの支援態勢を強化します

3、一時帰宅の外出(外泊)の「ケアプラン」を作成します

4、一時帰宅の外出(外泊)に必要な機器・物品の準備をします
 ALS患者が一時帰宅や外出(外泊)する度ごとに改善し、
 安全で安心な一時帰宅や外出(外泊)を楽しむ機会を与えるべきだと考えています。

●私が貸与出来るもの(二泊三日まで可能です)
 ◇福祉車両(VOXY:スロープ式、4人乗り) ◇専用車椅子
 ◇吸引器(バキュエイド゛ 7305P-N) ◇呼び出しブザー

●病院が用意するもの
 カテーテル、ペットボトル(2本オスバン液)、精製水、
 ピンセット(2本)、消毒綿、Yガーゼ、テープ、
 カフ用シリンジ、 栄養、栄養袋、◎アンビュー、

●看護師が用意するもの
 ◎体温計 ◎血圧計 ◎パルスオキシメーター 

●交渉して借りるもの
 ◇潟}ルホンに車椅子へ積載出来る「人工呼吸器」を借ります

●家族が用意するもの
 文字盤、延長コード、靴下、リハビリシューズ(スリッパ)、
 タオル、ティッシュペーパー、ゴミ袋、S形フック、カメラ、
 オムツ、パジャマ、パンツ、帽子、膝掛け、バスタオル、尿器、
 特定疾患医療受給者証、国民健康保険証、身体障害者手帳

5、一時帰宅の外出(外泊)実行します
 外出(外泊)許可書を提出します
 全ては患者の「笑顔、輝く瞳、生き甲斐」のために!
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嬉しい旧友の慰問に感謝
6月25日
 私が残酷な進行性神経難病の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患っていると知ってから、
中学時代の旧友がメールや電話で気遣ってくれるので本当に励まされています。

その二人が2012年6月23,24日に遠方にもかかわらず我が家を訪問してくれました。

両日は共に「梅雨の晴れ間」にも恵まれ、久し振りの再会を喜び、友好を温め合い、
楽しい時間を過ごす事が出来ました。本当に感謝です。

岡山県総社市在住:O君
中学時代: 生徒会会長、野球部、短距離競走NO.2、      
目標の人、努力家、責任感・正義感旺盛
高齢時代: 果樹栽培に挑戦しています(桃、葡萄、柿)

栃木県那須塩原市在住:K君
中学時代: 合唱部、短距離競走NO.1
高齢時代: 三味線や民謡は師範の腕前、宴会の盛り上げ役、
愛犬トイプードルを飼っている、ビデオ撮影記録

この二人はホームページの更新を毎月楽しみに見ているらしく、
その率直な感想なども寄せてくれます。

「喋れないストレス」を意思伝達装置(伝の心)を利用してホームページで解消した事が
こんなにも反響を呼ぶなんて想像も出来ませんでした。

まさに情報化時代(インターネット)の素晴らしさを実感しております。
お蔭さまで、このような反響やアクセスカウントがエネルギーの源となってまた、
頑張って更新しようという気持ちになります。

更新のために積極的に行動しなければならないときもあり、
難病を患った方が健康なときより充実した日々を送れているような気がします。
(そのような強がりを言うと皆さんに嫌われますよ!?
健康第一。健康に優る宝物はありませんよ。健康を取戻したい!)

 ★ALS患者としての体験をホームページで公開したこと
 ★ホームページの更新は月1回と自分自身に科したこと

これからも「今の自分が出来る事。今やらなければならない事」に挑戦し続け、
身体は不自由でも心の元気を伝えたい!

「もの言えば唇‥‥」恥をかきながら、意志どおりに動く筋肉がある限り
ピンタッチスイッチを押し続け、希少な病気の体験を発信したいと考えています。

中学校を卒業してから52年が経ち「高齢者」の仲間入りです。
それでも、中学時代の出来事は昨日のように思い出され「思い出話」に花が咲きました。
胸襟を開き何でも自由闊達にしかも忌憚なく話し合える仲間は本当に素晴らしいですね。

また、52年の歳月は人間の成長を大きく促進させました。
仕事・出会い・家庭・子育て・持ち家などの様々な苦労を乗り越えて、
地域社会に根を張り幸せに暮らしている姿に頼もしさを感じました。

皆さん、良くぞ頑張りましたね!!

65歳の同期会で、恩師が80年の人生を振り返り「幸せとは健康で仲良きこと」という
ステキなメッセージを贈ってくださいました。

高齢社会の問題として「病気・貧困・孤独」があります。

ご褒美の老後の人生は「悠々自適」の筈でしたが、
男性の健康寿命平均年齢70歳をはるかに下回る55歳でALSを発症し、
想定外の人工呼吸器に繋がれた「おまけの人生」になってしまいました。

せめて、心の健康を保ち続けて、
恩師のステキなメッセージを反芻(はんすう)しながら暮らしたいものです。

◎揺るぎない“絆”が甦ったのでしょう!?
 遠方からの嬉しい旧友の慰問に心より感謝申し上げます。
 
 「素晴らしい時間を本当にありがとうございました。」
 「こんな姿になって、ごめんなさい!。」

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日本ALS協会 群馬県支部総会
5月20日
「平成24年度 日本ALS協会 群馬県支部 第14回総会」
が次のような要領で盛大に開催されました。

患者や家族の願いは‥‥‥
 1、ALS患者が安心して療養出来る医療、福祉制度の確立
 2、ALSの原因究明と治療法の開発

このような願いに応えるために、
患者や家族の交流は勿論の事医療・福祉・介護に携わる人々との距離を縮め、
ALSの理解を深めたり、閉じこもりや社会からの孤立を避けるために
「情報共有化」の輪の拡がる活動を継続的に行なう必要があると考えています。

引き続き、医療・福祉・介護に携わる人やボランティアの方々などの
尚一層のご支援をお願い致します。

 1.と き  2012年5月13日(日)(午後1時半〜4時)
 2.ところ  群馬県社会福祉総合センター 8F
        〒371-0843 群馬県前橋市 新前橋町 13-12
        п@027-255-6000
 3.テーマ  平成24年度 日本ALS協会 群馬県支部総会

 第1部
   イ、平成23年度 活動報告、会計報告 (原案を承認)
   ロ、平成24年度 事業計画、予算案  (原案を承認)

 第2部 講演
   イ、ALSの研究から学んだこと
     群馬大学大学院医学系研究科 脳神経内科学教授
      岡本 幸市 先生
●講演の写真


     司会:群馬県難病相談支援センター
         群馬大学付属病院内 相談支援員 川尻洋美様

※講演の内容については次回発行の機関誌「群馬県支部だより」をご覧ください。

※「日本ALS協会群馬県支部」は1999年に全国で23番目に設立されました。
群馬大学の岡本教授には当会の顧問として設立当時からお世話になっております、
岡本教授は来年3月に退官予定となっているため、
丸茂孝子さんが謝辞を述べられて花束が贈呈されました。


●感想
 「平成24年度 日本ALS協会 群馬県支部 第14回総会」で支部長に選任されました。
群馬県には、優秀なALS患者が沢山いらっしゃいます。
私は「物づくり」の畑で育ち、人の上に立つ器でないのですが、
70歳まで緊張感を保ちながら頑張らなければならないと思い、
2年間の約束で「支部長」をお引き受けいたしました。

群馬県で約150人、全国で約8,500人という非常に希少なALS患者で、
「喜怒哀楽」を共有しながら、
残酷な進行性神経難病であるALSの「原因究明と治療法の開発のための助成」
や「療養環境」の向上を目指して共に頑張りたいと考えています。

ヘルパーさんの外出介助「障害者自立支援法(移動支援)」を利用して、
総会に出席する事が出来ました。
お蔭さまで、新しい「出会い」があり、闘病仲間に会ったり、講演を聞いたりして、
元気と生きる力を貰う事が出来た、とても有意義な群馬県支部総会でした。

●交流会の写真
8Fホール外の左側ロビーで「交流会」が行なわれました。
飲み物やお菓子が振る舞われ、
社会からの孤立を避けるための新しい「出会い」のチャンスを生かして
忌憚のない交流を温め合った大盛況の交流会でした。


<今月のNEWS>
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 2012年5月20日 旭天鵬20年掛けて平幕で初優勝(37歳8ヶ月)
 2012年5月21日 932年ぶりの広域での金環日食(午前7時34分)
 2012年5月22日 東京スカイツリー(634m)営業開始

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義母のお墓参り
4月20日
平成15年(2003年)は、
私にとって三途の川を渡り掛けた辛くて永い本格的な「闘病生活」の始まりでした。

否応なく私を襲った病魔は、
私の人生の最大の危機に追い込み余りにも大きな衝撃を受け、
絶望のどん底に追い込まれた時期でした。

私は進行性神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、
容赦のない病魔は、次々と身体を蝕んで行き、
発病から僅か4年で呼吸障害に陥り、
2003年(59歳)10月14日に気管切開手術をし人工呼吸器を装着し生きる道を選び、
入院療養中の出来事でした。

 2003年10月14日 気管切開 (TK病院 内科 10,13-12,05)

不幸は重なるものです。
入院中に「義母の訃報」が届きました。
妻は、葬儀には参列出来たものの、私の介護のために四六時中付き添い、
共に病魔と闘っていましたので、母の最期を看取る事が出来ませんでした。
その事が、妻に対して「本当に申し訳ありません。」
と言う気持ちで心から消え去る事はありませんでした。

 2003年11月30日 義母 (享年82歳)逝去 9回忌

義母は私達に最期に何を言い残し、何を伝えたかっただろうか?
おそらく、私に対しては「難病に負けずに、私の分まで長生きしてください。」
と命の継承をしてくれたと思っています。
また、娘(妻)に対しては「私が愛情を込めて育てた娘だから、
その愛を夫のために尽くしなさい。」と伝えたかったのではないかと信じています。

義母は、大病を患い、
入退院を繰り返しながら20年という長期に亘る闘病生活を強いられました。
妻は母が入院するとよく看病(付き添い)に出かけました。
しかし、それは長期療養生活から見ればホンの一瞬の慰問に過ぎません。
義母の「介護役」を買って出たのは義弟でした。
義弟は、「仕事」と「青春」を犠牲にして、母のために献身的な介護に当たりました。
そして、母の最期を看取る事が出来たのです。
このような、親思いの息子を育てた母親は立派であったし、幸せであったと思います。
しかし、義弟は母を看取った後の厳しい現実の社会に直面している事は
紛れもない事実です。
ですから、親の介護のために、
将来性のある子供の未来を犠牲にしてはなりません。

そのためには、
誰もが通らなければならない「老後の生活設計」を
現役世代から準備しておかなければなりません。
私は幸いにも、発病が定年間際であったので、
2年8ヶ月の「休職制度」を利用して「定年退職」を迎える事が出来ました。
お蔭さまで、どうやら息子のお世話にならずに済みそうです。

しかし、妻には介護の負担は勿論の事、
私が担当していた仕事まで広く且つ重く圧し掛かかり、
やむを得ず「政権交代」をしなければなりませんでした。
今の私に出きる事は、国家(家庭)戦略相です。
妻には総務相、厚生労働相、財務相、外務相、
農林水産相などあらゆる切り盛りを強いられました。
それでも、妻は前向きにしかも明るく取り組んで家庭を護ってくれました。
「いつも、動かない身体を支えてくれて、ありがとう!」
どんなに救われ、癒やされた事でしょう!本当に本当に感謝です。
もしも、妻がALSを患ったなら、
私は妻のためにこれだけ尽くす事が出来たかどうか自信がありません。
そればかりか、重度身体障害者の気持ち(心理)を理解し、
「心の傷を癒やす介護」などは、到底出来なかっただろうと思います。
ですから、私がALSを患って良かったのだと思うようにしています。
妻が頑張るから私も頑張らなければならない。
こんな緊張感を保ちながら夢中になって走り続けた「闘病生活」でした。

65歳の同期会で、
恩師が80年の人生を振り返り「幸せとは健康で仲良きこと」
という素適なメッセージを贈ってくださいました。

病気よりも勿論「健康」に勝るものはありません。
いざ!難病を患っていると取り戻す事
が出来ない健康に勝る「仲良きこと」が幸せな「在宅療養生活」を
可能にしていると再認識させられました。

揺るぎ無い夫婦の絆・信頼・尊敬・思いやりから生まれる
「心の安らぎ」と「居心地の良さ」は、何ものにも勝る幸せで贅沢な時間なのです。

  我が城は  家族の声が  聞こえるぞ
        顔が見えるぞ  居心地良いぞ   04,02,07

「幸せとは、与えられるものではなく、自ら創り出すもの」そんな決意で契りを結び、
ゼロからのスタートでした。
女性には、男性にはない魅力が沢山ありました。
一人では出来ない事も二人なら出来る事が沢山ありました。
辛くても、失敗しても二人で乗り越えた事が沢山ありました。

「仕事」と「人間関係」を大切にし、二人三脚でトップギヤーで走り続けました。
家庭の姿が少しずつ積み上げられると大きな喜びを感じたものでした。
「仲良きこと」とは、
40年を迎えた「結婚生活・夫婦道」の歴史に対して
お互いの評価点が高い事を意味していると信じています。

義母の大きな愛の灯火を絶やさずに灯し続けてくれた運命の人との出会いに感謝すると共に、
幸せな「在宅療養生活」を送っていることを義母のお墓の前で報告して来ました。

今まで、心の中に暗雲が漂っていましたがやっと青空を取り戻す事が出来ました。
これでまた、ひとつ私なりの心の整理が出来たような気がします。


<第一日目> 4/17 曇/雨 (8:15発-14:30着) 走行距離:325km
   宿泊先:宮城県宮城郡松島町松島東浜4-6 ホテル絶景の館
       (洋間 + 和室 + 露天風呂付き)

<第二日目> 4/18 曇/雨 (9:20発-17:10着) 走行距離:240km
   宿泊先:福島県福島市飯坂町字西堀切18 赤川屋
       (洋間 + 和室)

<第三日目> 4/19 曇/雨 (9:20発-14:30着) 走行距離:252km


桜前線の様子を観察(福島県北部まで開花)しながら東北道を北上し「松島」を目指しました。
お目当ては、東日本大震災1年1ヶ月後の松島の復旧・復興の様子を自分の目で確かめる、
瑞巌寺に参拝をする、家族に郷土料理の昼食(カキ)を食べさせる、
宿泊地に到着する、翌日に義母のお墓参りをする事でした。

松島海岸から眺める日本三景の島々は、
東日本大震災で防潮堤の役割りを果たしたとはいえ、
あまりにも巨大な津波によって甚大な被害をもたらしました。
今も昔と変わらぬ自然の造形美を誇示していましたが、
大震災後1年1ヶ月経った今でも大きな爪痕も数多く見られました。

一日も早い復旧・復興を心より願っています。
また、昔、塩釜港で小型船をチャーターし、家族で湾内を巡り、
子供達が喜んでくれた懐かしい思い出が甦って来ました。

瑞巌寺(松島青龍山瑞巌円福禅寺)の創設は、
平安期の天長5年(828)に慈覚大師円仁が開山した寺院です。
国宝でもあり、東北を代表する観光地の中軸をなしております。
一般の人々は勿論の事、
特に、歴史愛好家や芸術家にとって興味深くて飽きる事のない観光スポットなのです。
修理中なので車椅子で拝殿まで行けなかったので途中の参道で
「家族の健康と安全」を祈願しました。(拝観料:700円)

今回は、トラブルもなく何よりも無事で、私なりの心の整理が出来た旅でした。
家族には準備・運転や介護…に本当に感謝です。
また、「計画する喜び、実行する喜び、終わった後の喜び」と三拍子が揃い、
更に、家族の絆を深めた群馬県⇔宮城県の素適な旅♪〜でした。

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 <安全な旅のワンポイント>
 ○人工呼吸器(BP-560)は、一夜で充電が100%になります
  この状態で約9時間連続運転が可能なので安心です

 ○AC電源ケーブル、24V外部DC電源ケーブル、延長コード、アンビューは必ず、
   持参しましょう!

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おまけの人生を歩み9年目の春!?
3月20日
 私は、残酷な進行性神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、
今年で13年目(人工呼吸器を装着してから9年目)の春を迎えました。
アメリカのALS患者の人工呼吸器装着率は富裕層でも僅か3%です。

この数字はALS発症イコール「死」を意味しています。
日本では、やむを得ない事情でALS患者の70%が「病死」を選び、
大切な家族と悲しい別れをしなければならない現状を目の当たりにして来ました。
闘病仲間が次々とこの世を去って逝く訃報を聞く度になんとも寂しい限りです。

年間約35兆円(医療費)・約9兆円(介護費)の規模で繰り広げらる「命との闘い」
のドラマの一人の患者として、
人工呼吸器を装着し「生きる道」を選んで本当によかったことを
闘病仲間に報告する責任に駆られ標題のテーマに取り組んでみました。

■「生きる道」を選んでよかったこと

○大好きな家族と共に生きられること
○子供が成長していく姿を見られること
○やり遺した事が実現出来たこと
○障害年金・企業年金で家族を支え家族が介護で支えてくれたこと

○医療・福祉・介護に携わる信念に燃える人に出会えたこと
○患者・家族会(日本ALS協会群馬県支部)のご支援で、
 ALS に対する取り組み姿勢が変わり、より広い視野で臨めたこと
○難病に向き合う素適な家族に出会えたこと

○有り難い「社会保障制度」の恩恵を享受して精一杯生きたこと
○重度身体障害者でも車椅子で何処へでも行ける幸せ♪〜
○難病のALSと向き合って本気で生きた証しを残したこと
○マスメディアのお蔭で時代の流れを知る喜びが出来たこと

◎これまでに受けた「人の情け」を心の金庫に大切に保管して、
 いつか、病気が治ったらそれを取り出して、恩返しをしたい!


■セルフケア能力が向上した部分

1、ALSは、どんな病気なのか理解できた人間から運動神経を取り除くと
「動物」ではなく、知能を備えた「静物」になってしまいます。

○「生」か「死」の選択を決断しなければならない病気
○動けない、食べれない、話せない、呼吸が出来ないなどの
 「喪失感」を生涯まで背負う病気
○昼夜を問わず常に人の助けが必要(全介助)な病気
○ALS患者は、身体は不自由でも「心は自由」です

○痛みのない病気  
○「感情表現」をも奪う孤独な病気
○忍耐力を試される病気
 「作用があれば反作用がある」我慢した分のストレスを
 自分流の解消法を見出さなければならない病気

○ひと手があれば何でも出来る病気
○生きるための夢や目標を堅持しなければ病気に負けてしまう病気

○家族だけでは看れない病気。
 それでも、長期在宅療養生活を可能にした
 「在宅介護支援ネットワークシステム」の心強い支援態勢
○家族の介護力が問われる病気(知識・信頼・絆)

○「医療保険」や「介護保険」の保険料を支払った金額以上に
 利用する、皆さんに支えられている病気


2、介護者(妻)にも配慮する心の余裕が出て来た
私がALSを患いやむを得ず「政権交代」をし、妻には介護の負担は勿論の事、
私が担当していた仕事まで広く且つ重く圧し掛かかり、
あらゆる切り盛りを強いられました。
それでも、妻は前向きにしかも、明るく取り組んで家庭を護ってくれました。
「いつも、動かない身体を支えてくれて、ありがとう!」
どんなに救われ、癒やされた事でしょう!本当に本当に感謝です。

○日常心掛けていること
★介護をお願いするときは「お願いします」と心でつぶやく
★介護が終わったときは「ありがとう」と心でつぶやく
★出来るだけ妻の生活リズムに合わせる

★家事や家庭菜園など作業中に中断しての介護は嫌がるので、
 作業が一段落するまで我慢する
★自分が熱中出来る時間(パソコン、DVD、テレビ)を創る
 この時間は妻の介護の負担が軽減されます

★妻やヘルパーさんが付き添って何時でも吸引出来る態勢下で、
 「タンの吸引はどこまで我慢出来るのか?」を訓練する
 これは、「就寝中」や「留守番」のとき不安から逃れ、
 吸引時期の調整能力が向上します

★妻が外出時(買い物など)には、
 カニューレと回路の接続部をきつく締め、
 パソコンのメール機能を立ち上げて、
 妻の携帯電話に連絡が出来るようにしてから外出をします

○介護疲れを解消するために就寝時間は妻だけの時間
★就寝前に、吸引・排尿を済ませ、体位・掛け物などをセット
★「今日も一日動かない身体を支えてくれてありがとう!」と心でつぶやく
★夜中の体位交換は、出来るだけ我慢する
★夜中の吸引は、出来るだけ我慢する
★たえず時間を気にし、出来るだけ妻の起床時間まで我慢する

○閉じこもりや社会からの孤立を避けるために
★レスパイトケアを利用して妻が親戚や友達付き合い
★ヘルパーさんのご支援で総会や交流会に参加
★地域社会への付き合い(道路愛護、危険物当番、下水掃除)に
 参加のための留守番(1時間前後)が出来るようになった


3、自分流のストレス解消法を見出す
ALS患者は「植物人間」ではありません。

しかし、自分では何一つ出来ず、
昼夜を問わず何事も人の手助けが必要(全介助)となります。
ですから、常にストレスを抱えています。

それでも、
考える時間は十分あるので自分流のストレス解消法を見出す必要があります。
(ALS患者に対する支援のヒントが隠されていますよ!)

○喋れないストレスを意思伝達装置(伝の心)で解消する
便利な意思伝達装置のお蔭で夢は膨らむばかりです

★ALS患者としての体験をホームページで公開したこと
★ホームページの更新は月1回と自分自身に科したこと
 (妻もALS介護者の声のページ≠担当しています。
  また、ホームページの編集は娘の夫が担当しています。)
★インターネットは疑問に応えてくれる百科辞典
★メールは社会からの孤立を避けるため必用不可欠な機能
★DVDを見れる楽しみ

★コミュニケーションはALS患者を支える第一歩
 医療・福祉・介護に携わるプロの立場にありながら‥‥‥‥
 声を失ったALS患者とコミュニケーションが出来ない人が多いような気がします。
 文字盤を利用して患者の要望を引き出して、
 それに応える姿勢がない限り、患者の信頼を勝ち獲ることは出来ないでしょう。

○動けないストレスを外出(散歩、買い物、旅行)で解消する
★家族の「衣食住」を満たすためのショッピングは楽しい
★自然との触れ合う散歩が生む癒やしと活力
★バリアフリーの宿を探しての家族旅行は楽しい

○食べれないストレスを舌で解消する
★口からは一切飲食出来ないので、
 「食べたい」という生理的欲求は残念ながら諦めざるを得ません。
 ときどき、妻がココアやスイカのジュースを舌で味わせてくれます。
 その美味しさは格別です。

★栄養(ラコール)を朝・昼・夜に(300t)ずつ延命処置の胃ろうから摂取し、
 私の生きる源です。
 食べ過ぎ・飲み過ぎや偏食のない栄養価の
 高い高級料理だと思って感謝しながら戴いています。

○呼吸が出来ないストレスを「夢や希望」で解消する
「生きる」事は、「夢や希望」を持つ事です。

その目標に向かって一生懸命に努力する姿は最も美しく、
また、最も強く生きられます。

失望・絶望や喪失感の状態では前に踏み出す事が出来ないし、
何も生まれないと今でも信じています。

生きている事に感謝し「今の自分が出来る事。
今やらなければならない事」に挑戦しな
ければならないと考えています。

(呼吸器と 妻は私の 命綱 04,02,07)

★一家の主としての役割りがある
★ALS患者としての体験をホームページで公開する
★ピア・サポーター(仲間の支援者)としての支援
★積極的に外出(買い物、散歩、旅行)を楽しむ

■病気が進行した部分
1、口が開かなくなった
食べれない、喋れない、唾液を飲み込めないなどの症状があり、
24時間口に排唾管をくわえ、「低圧持続吸引器」で唾液を吸引している状態です。
そのため、口の排用性筋肉の低下があり、口が開かなくなったのです。
口腔衛生ケアに支障があるため開口訓練を行なっています。

2、よく舌を噛む
舌・咽頭筋の麻痺により欠伸やクシャミをする度に
舌を噛んでも口が開かなくなったため自力で解除が出来ないのです。
そのため、舌の周囲が歯型でホタテ貝のヒモのようになってしまいました。

<舌を噛んだときの解除方法>
○首または両肩を持ち上げて、頭を宙吊りにする
○上顎の前歯を舌が歯から外れるまでゆっくり持ち上げる
 (下顎を下げないでください。患者が辛いだけで効果無し。)

3、聴力低下が進行中
耳に水が溜まる、シリコンチューブが外れる、
耳垂れなどの症状があり耳には苦慮しています。
このため、聴力低下の症状がありますので会話は大きな声で話してください。
特に、右耳の難聴がひどいので、左耳に向かって話しかけてください。

この対策として、骨伝導補聴器(きくちゃん)を使用しています。
これは、頬骨などに接触させた骨伝導スピーカーによって
骨を経由して聴覚神経に音を伝えます。(2時間切タイマーの機能付き)

4、瞼が閉じ難くなった
特に、左の瞼が閉じ難くなりました。
そのため、眼が充血し易く涙も出るようになり、
目薬は欠かせなくなりました。

また、眼球も下を見るのが苦痛になってきました。
こんなところまで蝕む残酷な進行性神経難病の
筋萎縮性側索硬化症(ALS)との闘いは果てしなく続きます。


■将来への不安
私は、妻の献身的な介護のお蔭で幸せな「在宅療養生活」を送る事が出来ました。
本当に感謝です。
今望む事は、私が先に逝って、
妻には何時までも健康で長生きをして欲しいと願うばかりです。
人間の悲しい別れの生涯は何時やって来るかは神のみ知るのです。
しかし、逆転の悲劇が起こらないとは言い切れません。
そんな時のための受け入れ先が決まっていないのが現状でとても心配です。

現在、尊厳死が認められないので生きる道は必ずあるはずです。
このままで「在宅療養生活」が可能なのか? 
他の方法は「入院療養生活」・「施設療養生活」なのか? 
それとも、塚田宏様(東京都支部支部長)のように難病だけに特化した
療養型の専門病院を設立のための行動を起こすかは今後の検討課題です。
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郷土の誇り多々良沼
2月20日
1、郷土の誇り多々良沼

多々良沼の自然・文化は邑楽町のシンボルとしての誇りであり、
その景観・風情は訪れる人を和ませ、
釣り人や野鳥・植物・昆虫などの自然観察者たちを
オールシーズン楽しませてくれます。

@位置:「鶴舞う形の群馬県」の「首部」にあります。
群馬県の東南部(東毛地区)、邑楽町の東部にあって館林市に隣接し、
北は渡良瀬川、南は利根川に挟まれた田園風景が広がる低地部にあります。

A面積:約75ha、周囲約7kmの広大な湖沼です。

B生息:魚介類、水生植物、野鳥(白鳥の飛来地 12月〜3月)、 
昆虫などが生育する豊かな自然に恵まれた湖沼です。

 ○魚介類:
 ★在来魚⇒メダカ、ウナギ、スジエビ、コイ、ナマズ、
      キンブナ、カマツカ
 ★移入魚⇒ゲンゴロウブナ、タモロコ、シチフキ、ワタカ
 ★外来魚⇒オオクチバス、ブルーギル、カムルチー(ライギョ)
      タイソフバラタナゴ
 ○植物:
 ★野生植物⇒ツリガネニンジン、ヒヨドリジョウゴ、ニガナ、
       シロバナサクラタデ、ナワシロイチゴ、
       センニンソウ、シロバナタンポポ、ミゾコウジュ、
       イシミカワ、コバギボウシ
 ★帰化植物⇒ワルナスビ、オオブタクサ、アレチウリ、
       マメアサガオ、キキョウソウ
 ★植栽植物⇒アヤメ、タタラカンガレィ、ノカンゾウ、
       ショウブ、ヒガンバナ
 ○野鳥:
 ★冬鳥⇒オオハクチョウ、コガモ、ハシビロガモ、マガン、
     ミヤマガラス、ジョウビタキ、オオハシシギ、
     ビドリガモ、ミコアイサ、カンムリカイツブリ、
     オナガガモ、ウミネコ、シロチドリ、ベニマシコ、
     ユリカモメ、キンクロバジロ、セグロカモメ、
     ホシハジロ、ヨシガモ、クイナ、ツグミ、マガモ、

 ★夏鳥⇒アマサギ、オオルリ、コチドリ、オオヨシキリ、
     キビタキ、コマジナシ、
 ★留鳥⇒アオサギ、カルガモ、カワセミ、バン、カワウ、キジ、
     シジュウガラ、カイツブリ、オオバン、ダイサギ、
     コサギ、ハクセキレイ、
 ★旅鳥⇒アナアシシギ、エゾビタキ、クロハラアジサシ、
     コサメビタキ、ソルシギ&オオハシシギ、セイタカシギ
 ★漂鳥⇒ミサゴ、モズ、オオジュリン、ヤマガラ、

C周辺の景観:水田や小高い丘の赤松林に囲まれ緑豊かです。

 ○邑楽町側⇒*多々良沼公園(浮島弁財天、桜並木、80mの藤棚
        鶉古城跡、あずまや、ゲートボール場、遊具、
        トイレ)、*県立緑化センター(邑楽創造の森)
       *邑楽町立学校給食センター *ガバ沼
       *中野沼公園(釣り場)*多々良川 *孫兵衛川

 ○館林市側⇒*彫刻の小径(赤松林と彫刻、遊歩道、桜並木、
        遊具、グランドゴルフ場、見晴台、トイレ)
       *県立多々良沼公園 *釣り場 *野鳥観察棟
       *県立館林美術館 *いちご園 *高根運動場
       *多々良農業公園

D遠方の景観:特に、冬季の澄みきった青空の日には、
次の冠雪の「日本百名山」を眺めることが出来、登頂意欲を誘います。

 ○富士山(3,776m)、○赤城山(1,828m)、○皇海山(2,144m)、
 ○日光白根山(2,578m)、○男体山(2,484m)、○浅間山(2,568m)、





2、私の好きな散歩道  〜♪光と風を求めて出かけよう♪〜
■輝く季節の移ろいから「癒やし」と「活力」をGETしましょう!!
                                        
イ、近所の散策(2〜4kmコース)○写真のページを参照

ロ、近隣地域の名所(ドライブコース)○写真のページを参照

 ○大泉町   ◎邑楽町    ○千代田町  ○館林市
 *いずみ緑道 *多々良沼公園 *中里公園  *彫刻の小径
 *いずみの杜 *邑楽創造の森 *利根川   *館林美術館
 *城の内公園 *こぶ観音   *サントリー *躑躅ヶ丘公園
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在宅介護支援ネットワークシステム
1月20日
私は残酷な進行性神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い
今年で13年目(人工呼吸器を装着してから9年目)を迎えました。

これまでに、医療・福祉・介護に携わる人や患者・家族会、
更に、友人、家族から沢山のご支援を頂き、
お蔭さまで立ちはだかる幾多の危機を乗り越えて現在があると認識しております。

今では、「在宅介護支援ネットワークシステム」の確立や家族の介護力、
セルフケア能力が向上し、
維持期を安全で安心な在宅療養生活が送れるようになりました。
お蔭さまで、私達難病患者や家族が希望を持って難病と向き合い、
共に生きられる事を心から感謝しております。

【≪重要≫】
入院療養中に、館林保健福祉事務所のS保健師さんが中心になって
家族だけでは看れない病気にもかかわらず、
長期在宅療養生活を可能にした「在宅介護支援ネットワークシス
テム」の確立や環境整備が着々と進められて行きました。

お蔭さまで退院から在宅療養への移行が円滑に行なわれた事に感謝しています。

 ☆■在宅介護支援ネットワークシステム■☆

 ○患者の病名:筋萎縮性側索硬化症(ALS)
        Amyotrophic Lateral Screlosis
   アミオトロフィク ラテラール スクレローシス

 ○患者の症状:@コミュニケーション障害(喋れない⇒文字盤)
        A運動機能障害(手足首が動かない⇒車椅子)
        B嚥下障害(飲食物が飲込めない⇒胃ろう造設)
        C呼吸障害(自発呼吸が出来ない⇒人工呼吸器)
        D聴力低下(右耳難聴がひどい⇒骨伝導補聴器)


■1、医療関係支援機関        <2012年1月1日現在>
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相談: 群馬県難病相談支援センター
 群馬大学付属病院内 相談支援員 川尻様
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相談: 神経難病医療ネットワーク
群馬大学神経内科外来 神経難病医療専門員 渡邊様
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定期通院: 館林厚生病院 米山医師、今成看護師
レスパイト: 美原記念病院 木村医師、相澤室長
訪問診療: みづほクリニック 穂積医師
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処方箋: 浜田薬局 浜田薬剤師
人工呼吸器: (株)マルホン 前橋・太田営業所 須田、菊地様
吸引器: (株)栗原医療器械 ヘルスケア事業部 岩崎様
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■2、福祉関係支援機関
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保健係: 館林保健福祉事務所 保健係 竹内保健師
福祉課: 邑楽町役場 福祉課 小沢様、柳田保健師
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救急車: 館林地区消防 組合消防本部 邑楽分署 飯島様
停電: 東京電力 太田支社 生活営業部 新井、梅沢様
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福祉機器: 群馬県立義肢製作所 小林主任
福祉用具: :関東メディカル(株) 小金沢様
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技術支援: 群馬県立産業技術センター 主任研究員 北林様
理髪: 松島美容師
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■3、介護関係支援機関(森尻ケアマネージャー)
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ケアマネ: 社会福祉法人 同仁会
西小泉居宅介護支援事業所 愛
介護支援専門員 森尻様
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訪問入浴: 訪問看護ステーション かがやき 小山様
訪問リハ: 同上 茂木作業療法士
訪問入浴: さくら介護支援サービスセンター 長沼様
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訪問介護: あじさい介護センター 太田 吉楽介護福祉士
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■4、患者・家族会関係支援機関
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出会い: 日本ALS協会 群馬県支部 須賀事務局長
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 □URL:http://www.geocities.jp/namiyokko68/ALS_home/
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