里は春でも山は冬
日本百名山の登山を始めてから
2年目の春(5月1日)のことである。

「磐梯山」の山頂から間近に眺められる
「安達太良山」を次の目標の山と決め、
磐梯山を早々に下山し、その日のうちに
沼尻温泉の登山口から船明神山を経由
して安達太良山へ登る、単独で、強行
な計画の登山であった。

登山口付近での天候は晴れていたが
山頂に近づくに従って曇天に変化していた。

山頂に辿り着き、記念写真を撮って、
少し休憩してから下山を始めた。

下山コースは「沼の平」を見下ろす
外輪コースを予定していたので「鉄山」
方面へ歩き出した。心配していた天候は
急変した。

霧が舞い上がり、強風・突風が吹き始めた。

間もなく霧が吹雪に変わり気温は下がる
し、体が吹き飛ばされそうな強風が続いた。

 視界ゼロのホワイトアウト状態に陥っ
て目標を失い行く手を阻んだ。

引き返すか、ビバークするか迷った末、
持参した装備を考えると引き返えざる
を得ないと決心した。

引き返して数十分後すぐ目の前に赤い
トタン屋根の「鉄山避難小屋」を発見
するこかとができ驚いてしまった。


引き返すコースには避難小屋は無い
筈なのにホワイトアウトのため進む
べき方向が全く逆方向になっていた
のだ。

これが幸いした。

急いで避難小屋の扉を開けて
見ると5人程度の収容面積があり、
中央には囲炉裏らしきものがあった。

これで、吹雪や強風から逃れられる、
助かったと思った。

しかし、一向に止みそうにない
荒天は益々気温を下げ、戸の隙間
からは吹雪が容赦なく浸入してきた。

暖をとるために囲炉裏に残っている
僅かな薪を燃やそうとして持参して
いたマッチやライターで試みたが
着火には至らなかった。

雨衣だけの軽装備では体が冷えるので
手で体をさすったり、体操して体を温
めるように努め、天候の回復を願った。

その時の程時間の経つのが遅いと感じ
たことは無かった。頭の中は家族や会社の
こと、登山装備の不十分さなどが駆け巡っ
ていた。

そして一睡もせずに長い夜が明けた。

翌朝素晴らしい天気で3cm程度積もった
雪景色が朝日で輝いていた。

そして、これから下山しようとするコース
がはっきり確認することができた。


私の命を救ってくれた「鉄山避難小屋」
の存在に感謝せずにはいられなかった。

「里は春でも山は冬」この言葉の意味が
やっと理解できた、忘れることのできな
い登山であった。