夢を叶えた旅     


在宅生活に慣れた頃から「実家へ連れて行って!両親のお墓参り、妹のお墓参りに行きたい!」
ことあるごとに、子供が帰宅するたびに文字盤で訴えていました。

今年の新年の目標にふるさとへ行くことをかかげていました。
私自身も一度は連れて行きたいと思っていましたが、中々決断がつきませんでした。

持ち物だけ考えてもすごい荷物になるし、、、、、

そして、今年のお盆にいよいよ日取りまで示し、
娘夫婦もその熱の入れようを察し連れて行ってくれることになりました。
実家はバリアフリーにはなっていませんし、電動ベッドもありません。

主人は、以前からインターネットで実家の近くの宿を探していました。
実は、私もバリアフリーの宿を密かに探していました。
実家から3分ほどの秋の宮山荘の空き状況を調べると全室満室の表示。

実家から近いバリアフリーの宿はここしかなく諦めきれず電話をかけてみました。
運のいい主人。

バリアフリーの部屋が空いているとのこと、
理由を話すと娘夫婦が泊まる部屋をなんとか都合をつけてくれました。
「宿が取れたよ!」主人のうれしそうな顔がありました。

それからの毎日はもう心がふるさとへ到着しているようです。
パソコンを打ち計画をたてはじめどこで休憩するとか、お土産はどうするとか、
持参するもののチエック表を作成したり、、、、、
心が躍っているのが伝わってきました。

9月21日(金曜日) 準備完了 神経がたかぶっているらしくなかなか眠りません。
現在薬は服用していませんがレンドルミンが欲しいとのこと(睡眠剤)
11時ごろ やっと眠りにつきました。

                      

2007年9月22日(土曜日)晴れ8時半 出発 いざ ふるさとへ

主人の計画表にそって館林インターから東北道へ

呼吸器を装着してからはじめての高速道路。 心配とは裏腹に快適。
そうです、信号もないし、真っ直ぐな道路だし、いっていのスピードだし、
主人の乗車している位置は特等席で見晴らしが最高なのです。

目がとっても輝いてキョロキョロキョロキョロ、けっきょく実家へ到着するまで一睡もしませんでした。

東北道では福島県の安達太良SA、宮城県の鶴巣PAで休憩、昼食。
連休だったこともあり混雑していて木陰も見当たらず、主人の食事は車内ですませました。
(S字のフックに栄養袋をつるしました。)

古川インターを降りて鳴子温泉の少し手前で最後の休憩をすませました。
鳴子温泉から鬼首をぬけ峠を越えると主人のふるさと「秋の宮温泉郷」

この周辺は鳴子ダムがあり、10月になるとすばらしい紅葉の山並みがみられます。
鬼首はスキー場があり、実家に来るときはスキーを積んで来て家族で楽しんだことを思い出します。
最後に訪れたのは、ALSと告知された前年の2001年の2月に長男と3人でスキーを楽しみました。
(すでにALSに侵されていたのです。)

ふるさとの風景に浸りながら実家に近ずいてくるにつれますます目がギラギラ。

実家到着で〜す〜。

玄関の前に車をとめると兄夫婦はじめ兄弟たちが「いらっしゃ〜い よくきたね! つかれたでしょ!」
と出迎えられると、主人は感極まり涙がポロポロこぼれ落ちました。

私も涙がこみ上げてきました。
『ヤッター。心の中で叫びました』

主人の希望どうりすぐに両親のお墓参りです。
あるいて5分位のところに眠っています。

車椅子でお墓の前まで行き両親に元気に自宅療養をしていること、
兄夫婦が中心となり兄弟達で助け合っていることを報告しました。

お墓参りの帰り道、なつかしい風景を眺めながら、
ここちよい風を感じながら兄弟たちと一緒に車椅子を押してもらいふるさとの
思いを焼き付けているようでした。

実家にもどり兄弟たちと話しに花が咲きました。
また、義姉がいい物を見せるというので何かと思ったら、兄夫婦が群馬の我が家へ遊びに来た時のビデオでした。
主人が38〜39歳の頃、カラオケで「山茶花の宿」を熱唱している姿がありました。

とてもなつかしい主人の声でした。子供たちもまだ恥じらいもなくおじぎをしてから歌っている姿がありました。
義息子も思いがけないところで主人の声を聞くことができました。どんなふうに感じたでしょう。

夕方、宿泊先の「秋の宮山荘」へ向かいました。
この山荘は実家へ来た時食事したり、お土産を買ったりしたことがありましたが宿泊したことはありません。
2階のお部屋に案内していただき、お手洗い浴室お部屋もスペースが広く一安心。
電動ベッドも設置してありました。
早速、車椅子からベッドへ〜おつかれさまでした〜
10時間ほど車椅子で過ごし、今までは8時間が最長でしたから更新しました。
主人に「疲れたでしょう〜」と聞くと、「大丈夫、疲れない」と答えるのです。
余程うれしかったのでしょう。
少し休んでから夕食です。
ベッドの上にごはんをつるしいただきま〜す。

兄弟たちの計らいで、一室かりて夕食のごちそうをいただきました。
主人も車椅子で行けるように手配をしていただきましたが、
明日もあるのでお部屋で休んでてもらうことにしました。

夕食後、お部屋にきてもらいあまり遅くならないうちにということで皆さんは帰路に!

秋の宮温泉は、源泉がみな違うということで娘夫婦も12秘湯絵めぐりを楽しみたいと考えていたようですが、
連休ということもありもう1泊はとれませんでした。

次の機会にと楽しみを残しておきました。

主人には、人口呼吸器を装着しているので温泉は我慢してもらい清拭で済ませました。

娘と久しぶりに温泉につかり日ごろの疲れを洗い流しました。
2年前にレスパイトでお世話になっている時2人で伊香保温泉へ行ったことを思い出しました。

                         


9月23日 5時半 目覚めたら主人は目をパッチリ。
さすがに疲れたらしくグッスリ眠ったようです。

私もゆっくり休むことができました。
カーテンを開けたらみどりが一面に飛び込んできました。
お天気もよさそうです。

早速朝食開始。
洗面を済ませ私たちが朝食する間 お部屋でお留守番。
朝食は和洋バイキングで温泉卵、
山菜、漬物など地元の料理を取り入れたふるさとのごちそうを心ゆくまでいただきました。

秋の宮山荘のすぐ前の朝市を楽しみ車へ乗り込みました。

これからが主人の出番です。
義息子に秋の宮温泉郷を案内するとのこと。

その1つに稲住温泉があります。
卓球で有名な福原愛ちゃんの卓球場のあるピンク系の建物が見えました。
また作家の武者小路実篤先生がこよなく愛した温泉と聞いています。 

湯の又温泉の湯の又大滝もとてもきれいでした。
この大滝はS電機時代の友達と来たことがあるそうです。

その他、鷹の湯温泉など案内してくれました。

最後に案内してくれたのが、名物「川原の湯っこ」
源泉豊富な場所で川原を掘ると自分だけの足湯が楽しむことができます。
面倒がりの私は誰かが作ったところへ足を入れ楽しみました。
タオルやスコップも用意してあります。
又、子供たちがとんぼとりなどできるように網等も用意してあります。
そのすぐそばに、民営の秋の宮博物館があります。
実家から5分ほどで行けます。

お土産を買ったり、昼食をとったり、主人に食事を用意したりしていると近くに住んでいる弟が、
「記念に植えて!」とポッポの木を届けてくれました。
再び、実家に戻り挨拶をして午後2時ごろ群馬へ向かいふるさとを後にしました。

東北道古川インターより、仙台少し手前の鶴巣PAで私の姉家族、
姪家族が会いたいとのことPAまで来てくれ再会を喜び合い30分程でしたがおみやげをたくさんいただきお別れしました。
わざわざ家族全員で会いに来てくれて、主人もどんなに嬉しかったことでしょう。

帰路もすこしウトウトしただけで、移り行く景色に見入っていました。
思い出をいっぱい瞼に焼き付けて無事我が家へ到着(20時30分)しました。

娘夫婦の協力で、主人の今年の目標をクリアでき感謝しています。
これからもお父さん、お母さんの力になってください。
ほんとうにありがとう!     2007,9月30日

※あとになって気がついたこと

実は、実家も温泉が引いてあるのでいつでも温泉に入ることができます。
主人にせめて足と手だけでも入れてあげれたらと思いました。

身体障害者は高速料金が半額になりますがいつ変更になったのでしょうか?
100枚券をお役所からいただいていたので、手帳と一緒に提示したところ現在はお役所で手帳にスタンプを押してもらうのだそうです。
ちなみに軽井沢に5年前に行った時使用したきりでした。 

確認しない私がいけなかったのか?  残念〜!